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千心美生

千心美生

喪失感との向き合い方

失ったものへの悲しみは、今までそそいできた愛情の証。

失うことは辛いですね。

それが、家族であれ、友達であれ、故郷や物であっても、胸が苦しくて、頭では分かっても心が納得しないでもがいてしまう。嘘なんじゃないか。実は会えるんじゃないか。と、ありもしない可能性にすがりたくなる。

昔、心は胸の中にあると思われていたとおり、息をするのも難しいぐらい痛みを感じて、悲しみでいっぱいで食事もできなくなる。自分だけ生きていても仕方ないんじゃないかと思う。

喪失感とは、これほど人を頼りなく心細くします。失う前は、日常の当り前のことになっていても、もう二度とないのだと観念するときに身を切られるような辛さを感じる。愛しているものとの別れが避けられるなら、何を引き換えにしてもいい。それぐらい「愛情」には何ものにもかえられない価値があります。

人はひとりぼっちでは生きていけない。愛情の交換ができなければ生きていけない。この世で何ものにもかけがえのないものは愛情です。四苦八苦とは、仏教で生・老・病・死で四苦、そして愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦、これらを合わせて八苦というといわれています。愛しているものとの別れも、憎んでいるものと会うことも、求めるものが得られないことも、思うようにならないことも、すべて愛情が十分でないと思うことから生じるのだと思います。

執着は、人を苦しめます。その執着は愛を求める心が起こすのだと思います。私は、執着を捨てるのではなくて、執着しきってもう十分だと思えるようになろうと生き切ることが大切ではないかと考えます。

愛情は無限です。無限に求める愛も無限に与える愛も、おそらく人の一生では満たしきれないかもしれません。勿論、四苦八苦を得てしまうことが殆どでしょう。だからこそ、少しでも足りるように今日を精一杯愛で満たすことが重要なのではないでしょうか。避けられない苦しみを得ないように努めるよりも、苦しいほど愛着を確かめたことが生きた証になるのではないでしょうか。失ったのが辛いのは、それまでにかけがえのないものが得られたからに違いありません。それほどの価値を得られたということは、生きた甲斐があったということです。

苦しさを和らげるのは、時間しかありません。失った苦しさにすべてのものが色褪せて、した後悔としなかった後悔に心が荒んでしまったあと、実に長い時間をかけて色を取り戻すにあたって、短い人生の中でどれほど貴重なことだったかという感謝が満ちてきて、心を豊かにすると思います。

失う苦しさを知っているからこそ、この一瞬一瞬を大切にして、愛で満たすよう努めることができるようになるのだと思います。一生の間に出会うものは限られています。その限られたものに出会えた幸運に感謝して、存分に愛情をそそいで、少しでも満ちるように悔いのないように大切にしていくことが生きていくということではないでしょうか。

代表取締役 千堂 純子

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